雨が語っていること
- 政美 森田
- 8月29日
- 読了時間: 2分
最近、よく雨が降っている。
降ったり止んだり、ときにはピカっと雷が鳴ったり。
どこかへ行こうと思っても、雨が降っていると、やめてしまう。
雨はあまり好きじゃない。
けれども、文学の中の雨は重要な意味を持つ。
物語の中での天気というのは、いつも何かを表している。逆に、何も表していないとき、天気は「晴れ」だったりする。私たちは無意識のうちに物語の世界は「晴れ」だと認識している。
実際のところ、日本であれば平均で3日に1回雨が降るらしい。
だから、雨はそんなに珍しいことではない。
それなのに、物語に雨が出てくるとき、私たちは「特別なことが起きる」と感じてしまう。悲しい別れ、胸のざわめき、あるいは新しい始まり。雨はいつでも何かの予兆だ。
新海誠さんの作品なんかは、きっとそういう「文学的な雨」が意識されているのだと思う。
その「文学的な雨」のことを考えると、雨も少し悪くないと思ったりもする。
なんだか感傷的な気持ちになるときは、江國さんの雨に濡れた『東京タワー』の姿を思い出し、傘を忘れて雨を浴びるとき、『ショーシャンクの空に』のラストシーンを思い出して、わくわくする。
現実の雨は何も起さない。ただ降っているだけだ。
けれど私の心の中では、今日も雨が物語をはじめている。
今日も読んでいただきありがとうございます。
またまどろみの中で会いましょう







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