言語化の幻
- 政美 森田
- 1月16日
- 読了時間: 1分
更新日:1月20日

何かこの世には「言語化することが偉い」みたいな風潮がある。
けれどもそうだろうか。言語化という幻はかえって私たちを苦しめたりもする。
例えば自己分析やそれに近い占いのようなものは面白いし、自分を知る気持ちは大切なことだけれど、それをあまり信じすぎない方がいい。自分を根拠付ける参考にはなるかもしれないが「こう書かれているから、私はこんな人間なんだ」という逆方向の理屈で考えてしまうと、自分の本当の姿がかえって見えなくなったりする。
あくまで分析の結果は傾向でしかなく、かもしれないね、くらいの気持ちで考えるのがいいんじゃないだろうか。
また、言葉は完全じゃない。これからたくさん新しい言葉も生まれるし、この世にあるもの全てに名前があるわけではない。だから、あなたの嬉しいという気持ちは、もっと複雑なのかもしれないし、あなたの友達は、本当は友達ではないものなのかもしれない。「言葉にするとやすっぽい」というのはそのせいなのだろう。
しかし、いちいち疑うと何も分類できなくなるので、とりあえずそういう言葉を使っているだけ。それだけ。
言葉はただの記号だ。それは実態もなければ真実でもない。それに言語化すべきものは、実はそんなに多くなかったりする。







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