言葉を交わすということ
- 3 日前
- 読了時間: 2分
言葉は、万能じゃない。
伝達手段としては優れているはずなのに、
愛も憎しみも、喜びも悲しみも、
ときとして、同じかたちをしている。
だから最初は、捉え違いや間違いがあって然り。
だれも嘘などついていないし、
だれもがわからないものをわからないままに、
自分の持つ言葉の中から、それに近いことや、
自分の何かしらの思いを伝えるために選ぶ。
それは知らなかったり、思い込みだったり。
世界が違ったり、
他者に言葉の使い方を責めることは、できやしない。
そして、こういうとき、
じつは言葉にしてないことが、けっこう重要だったりもする。
表情や、まなざし。
言葉の詰まりや、言葉にしないこと、そのものが持つ意味。
それは想像でしかないけれど、
相手をよく知っているなら、
そして、人をよく知っているなら、
もしかしたらその想像は、
間違っちゃいないのかもしれない。
ただ最終的には、
きちんと言葉で合わせていかなきゃいけない。
この翻訳は、あなたを知りたいという意思と、
わたしを知ってくれるという信頼で成り立つ。
それは、相手の世界を取り入れるということであり、
わたしの世界を差し出すことでもある。
この言葉ってあなたにとって、どういうこと?とか。
その言葉はわたしには、こう感じるのよ。とか。
その積み重ねによって、
わたしとあなただけに伝わる言語に変わる。
そこまできて、やっと言葉が言葉になる。
わたしは言葉って、
そういうものなんじゃないかなと思います。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
また、まどろみの中で会いましょう。



コメント