top of page

言葉にすること

今日は一つ、自分がずっと抱えていたものを打ち明けてみようと思う。今の自分にとってこれをオープンにすることがなんとなく必要な気がしたからだ。


私は普段、こんな風に自分の思うことを書いたり、小説を書いたりしている。それは単純に書くことが好きだからだ。

けれどいつからか、書くことで自分は、嘘をついてしまうような感覚を覚えてしまった。言葉を扱うほど、心の中にあるものが本当にこの言葉で良いのか、これが伝えるべき言葉なのか、わからなくなってしまうし、それを信じて読んでくれている人に、どこか申し訳ない気持ちになる。


これはお仕事をする際には、より強く思ったりする。

サービスや商品のコピーを制作するとき、ヒアリングして、実際に試したり、調査をして制作する。たくさんの言葉を出して、クライアントのイメージに近いものをたくさん練って、提案する。

けれど、調べれば調べて、知れば知るほど、それを「言葉」という形に変換したときに、そのものの本質を失ってしまうのではないかという恐怖がある。そのサービスがたった十数字の言葉では語りきれるものか、いっそ言葉なんかいらないのではないか、と思ってしまうこともある。キャッチコピーが持つ有効性を知っていても、だ。


「コピー」という言葉には「写し」という意味があるが、その時点で、言葉はどうやっても本物にはなれない、そんな絶望や諦めのようなものを感じる。自分が嘘をついて、商品を自分というフィルターを通して、違った情報として伝えてしまう罪悪感がある。


書くことは楽しい。

自分はきっと他の人よりも文章は得意だし、そうやって思ってずっと書くことをやめなかった。しかし誰かに伝えるときに、それが本当か嘘かについて考えてしまうことに、すごく悩むし、どんなに相手が喜んでくれても、私はどこか申し訳ない気持ちが拭えない。

けれど、だからこそできるだけ嘘がない、本当の言葉を紡ぎたいと思う。

本物には敵わないとわかっていながら。

そんな疑り深い自分だからこそ、書けるものがあるのではないかと願ってもいる。


 
 
 

コメント


bottom of page