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言葉と行動

結局のところ、人の言葉よりも行動がすべてを物語る。

それらしい言葉で何を語っていようが、結局、行動に移されていなければ、言葉がその人のなかで本当だとしても、悲しいことに、それは単なる音に過ぎない。

本心から出た言葉であっても、行動がともなわなければ、信じるには弱い。


人は、自分で自分に嘘をついていることに気がつけない。理由を語るときも、それは相手を納得させると同時に、自分が納得できるための言葉に過ぎないのだろう。それが本当にそうなのかどうかは、その人の行動を見ればわかる。


きっとある程度人間関係を持った人なら「守りたい」だとか「養いたい」だとか、それに近い表明をされた人もいるだろうし、「一緒にいるよ」「絶対」そんな言葉もかけられたこともあるだろう。


けれど、本当にそうなったかどうかといえば、私の場合はそんなことはなかった。信じていても、どんな言葉だって風化する。人が出会うように、人は別れるし、熱のこもった感情的な言葉は、宴のような、甘く儚いものなのだ。


そう、頭ではわかっているのだ。


けれど私たちは、言葉をどうしようもなく信じていたい生き物だ。

行動に表れない部分を、言葉を通じて理解したいと願ってしまう。そうすれば、相手の心を確かめられると思っているからだ。


大切な人に「愛してる」と言われたなら、ずっとそれを抱きしめて生き、「一緒にいたい」と言われたら、その未来を信じてしまう。たとえ、行動がそれに追いついていなくても。


多くの人は、どちら側でもある。

だから私も無自覚な嘘で人を傷つけてきたし、そういう言葉で傷つけられもした。


言葉で自分を飾り、都合よく相手を動かす。受け取る側は、それを真に受け、裏切られるたびに深く傷ついていく。冷静に考えれば気づけるのに、言葉には人を惑わせる魔力がある。

歴史の中で登場する革命家や政治家は、この言葉の魔力を上手く使い演説をしていたのだろうし、結果人々は動いた。


だからこそ、言葉は実態の補足でしかない。

最後に信じるべきは、やはり行動なのだ。

甘く優しい言葉に飛びつかず、実際に起きていることを見つめること。

そこから目を逸らさない勇気。相手の行動と自分の感情の間に距離を置き、自分の幸せを守る覚悟。


言葉に酔わされるのではなく、行動を見抜ける。

そういう行動から、相手を信じるしかないんだ。


今日も読んでいただき、ありがとうございます。

信じたいものと、信じるべきものが違うと、とても辛いですよね。

また、まどろみのなかで会いましょう。



 
 
 

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