言葉と行動
- 政美 森田
- 8月18日
- 読了時間: 2分
結局のところ、人の言葉よりも行動がすべてを物語る。
それらしい言葉で何を語っていようが、結局、行動に移されていなければ、言葉がその人のなかで本当だとしても、悲しいことに、それは単なる音に過ぎない。
本心から出た言葉であっても、行動がともなわなければ、信じるには弱い。
人は、自分で自分に嘘をついていることに気がつけない。理由を語るときも、それは相手を納得させると同時に、自分が納得できるための言葉に過ぎないのだろう。それが本当にそうなのかどうかは、その人の行動を見ればわかる。
きっとある程度人間関係を持った人なら「守りたい」だとか「養いたい」だとか、それに近い表明をされた人もいるだろうし、「一緒にいるよ」「絶対」そんな言葉もかけられたこともあるだろう。
けれど、本当にそうなったかどうかといえば、私の場合はそんなことはなかった。信じていても、どんな言葉だって風化する。人が出会うように、人は別れるし、熱のこもった感情的な言葉は、宴のような、甘く儚いものなのだ。
そう、頭ではわかっているのだ。
けれど私たちは、言葉をどうしようもなく信じていたい生き物だ。
行動に表れない部分を、言葉を通じて理解したいと願ってしまう。そうすれば、相手の心を確かめられると思っているからだ。
大切な人に「愛してる」と言われたなら、ずっとそれを抱きしめて生き、「一緒にいたい」と言われたら、その未来を信じてしまう。たとえ、行動がそれに追いついていなくても。
多くの人は、どちら側でもある。
だから私も無自覚な嘘で人を傷つけてきたし、そういう言葉で傷つけられもした。
言葉で自分を飾り、都合よく相手を動かす。受け取る側は、それを真に受け、裏切られるたびに深く傷ついていく。冷静に考えれば気づけるのに、言葉には人を惑わせる魔力がある。
歴史の中で登場する革命家や政治家は、この言葉の魔力を上手く使い演説をしていたのだろうし、結果人々は動いた。
だからこそ、言葉は実態の補足でしかない。
最後に信じるべきは、やはり行動なのだ。
甘く優しい言葉に飛びつかず、実際に起きていることを見つめること。
そこから目を逸らさない勇気。相手の行動と自分の感情の間に距離を置き、自分の幸せを守る覚悟。
言葉に酔わされるのではなく、行動を見抜ける。
そういう行動から、相手を信じるしかないんだ。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
信じたいものと、信じるべきものが違うと、とても辛いですよね。
また、まどろみのなかで会いましょう。







コメント