自分の見つけかた
- 政美 森田
- 4月8日
- 読了時間: 2分
最近、自分の本当にやりたいことやワクワクすることってなんだろうなと考える。
考える。考える。けれど、いまいちどれもピンとこない。
何かを思いついたとしても、それが本当に自分の「やりたいことなのか」と問いかけると「そうでもないかもなぁ...」「一生やりたいと思えるかなぁ...」と思い、答えがずっと出せずにいた。
そもそも真実ってどうやって決まるのか。
誰も決めてくれないなら、自分で設定するしかない。
つまり真実であるかどうかを考えるには、まず真実である基準を「決める」ことが必要になる。
だが、どう決めよう。
そもそもやりたいことというのは、生きていくうちに変化するものではないか。それならば、今やりたいことの真実性にどれほどの意味があるのか。もっと別の変わらない価値観を探した方がいいのではないか。では、変わらない価値観とはなんなのか。そんなものあるのか。いいや、価値観だって変わってしまう。ではどうすれば良いか。
そう、それも、ひたすら決めていくしかないのだ。
自分の気持ちに素直になることは大切だ。
しかし、自分の気持ちだけに従ってばかりいると、途方に暮れてしまう。だから、真実ではなかったとしても、その時に真実らしいと感じたものをそうだと「決める」ことが重要なのだ。それが真実であることはさして重要じゃない。
あなたが今、サッカー選手になると決めたなら、サッカー選手になるための練習をすればいい。きっと生きていく中で野球やバスケを楽しいと思うこともある。しかし、自分はサッカー選手になると決めた。だから野球選手にもバスケ選手にもならない。そうやって自分の道をある程度貫くことができる。
もちろん、その途中でサッカー選手になりたくないと思うかもしれない。
そんなときは、なぜサッカー選手になりたくないと思ったのかを考える。選手にはなりたくなく、サッカーがしたかっただけなのか。ただ選手という存在になりたかったのか。サッカー選手になることを通して得られる価値が自分にとって大事なのか。それらしいものを選んで、またトライしていく。
そんな風に物事を「決める」ことから、人生をかけて自分が少しずつわかっていくのかもしれない。







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