緩急について
- 政美 森田
- 4月2日
- 読了時間: 2分
なんにでもそうであるように、少しの間やゆるさみたいなものは大切だ。それは人生だけではなく、音楽や映画でも、スポーツでも、料理だってそうだ。
人はずっとサビの曲や、クライマックスばかりの物語には惹かれない。ホームランしか打たない試合に意味はないし、メインばっかりのフルコースにうんざりする。そんなものは誰だって疲れてしまうし、本当は楽しめるはずのものも、飽きたり、嫌になってしまう。
逆にいえば、ゆるいときがあるからこそ、ぐっと集中するときに熱や感動がより美しく感じられる。物事はそういう風にできているし、ものづくりをする人はそういうことに気を遣っている。
当たり前のことだが、頑張れば誰だって疲れてしまう。疲れない人なんていない。でも頑張っている最中の人はそういうことをすっかり忘れてしまう。
いつも元気そうな人も、実は陰できちんと休んでいる。それか休むことを知らずにいつか壊れてしまう前の人かもしれない。
だから、今必死で頑張っている人は、どこまで頑張るのかきちんと見立ておいたほうが良い。立ち止まることでしか見えない景色も、きっとある。
私の周りにはなんだか頑張りすぎている人が多いと感じるので、そう、この場所のようなまどろみの時間を作ってみてください。







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