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石原慎太郎と死

石原慎太郎という政治家・作家をご存じだろうか。2022年に逝去されたのだが、彼が残してきた数々の言葉、考え方は今でも、その時代を生きた人々に語り継がれている。かくいう私も彼の存在を認識しはじめたのはここ数年の話で、東京都知事時代のことも、残っている映像や書籍などで知るのみである。


今朝、そんな石原慎太郎さんのある記事を見つけた。


石原節という言葉があるように、慎太郎さんが作家・政治家としてメディアに登場する際のあの昭和の漢というような話し方や振る舞いは、誰もが惹きつけられてしまうような魅力がある。いつでも作家としてのものの見方を据え、記者の意地悪な質問にも、毅然とした態度で、時には人情溢れる返とあの笑顔で、多くの人を虜にしてきた。

そんな慎太郎さんも、死が間近に迫ると知れば、いつものようにはいかなかった。むしろ、そんな自分というものを世間に見せつけてきた彼だからこそ、死に対する恐怖が一層強くなってしまったのかもしれない。しかし、同じ時期に死期を告げられた慎太郎さんの妻はというと、彼とは反対にものすごく冷静だったようだ。


その中身については、記事を読んでみてほしいのだが、人はいつか必ず、死が訪れる。それは人の人生に一度だけ、平等に訪れる。そして死は別れであり、喪失であり、運命であり、束縛である。だから、自分の価値を信じている人ほど、大切な人がいる人ほど、自由を求める人ほど、その恐怖はつきまとうのだろう。死期を知って覚悟するよりも、何も考えさせられず、ぽっくり逝ってしまうほうが幸せなのかもしれない。だから死を感じない今がいかに幸せか考えさせられる。生きていればいつだって死は隣り合わせなのだから。

 
 
 

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