気持ちを見たい人々
- 政美 森田
- 8月21日
- 読了時間: 2分
今日は「Flow」という映画を観た。1時間半ほどの動物しか出てこないアニメーションで、突然の大量の水が押し寄せ、陸地が全て水になった世界を、動物たちが船で漂い生きる物語だ。
シチュエーションとしてはけっこう過酷なのだが、絵作りがうっとりするほど綺麗だからこそ、なんとか耐え得ることができるのだと思う。これよりリアルだと、きっと苦しくて観ていられないし、これよりアニメっぽいと自然のリアルな美しさが失われる。いい塩梅の映像表現を狙っている。
黒猫が主人公で、犬、カピパラ、ワオキツネザル、鳥、クジラ(のような古代生物?)が登場するのだが、船に乗っている動物たちが助け合ったり、時には同じ種族の動物と喧嘩したりと、まるで人間らしく振る舞う。けれど、見た目は動物。言葉は一言も発さないし、それぞれがそれぞれの鳴き声を持っているだけだ。
この映画からは人間が生き物に対して「感情」や「情緒」を読み取ろうとする、どこか願いやロマンのようなものを感じる。
私たちは例えば、車のライトや、家の窓が目に見えたり、それらがどんな表情をしているかを考えたりする。サモエドスマイルだって本当に喜んでいるかはわからない。けれど、人間は、感情の疎通によって物事を認識しようする側面がかなり強い。
リアルなところ描けば、自然は弱肉強食。だからこの物語は猫が食べられて終わってしまう。速く動き、体の大きな動物が勝つようにできている。
でもそれじゃああまりにも無情じゃないか。
人が生き物から見出す感情は、自然に対して希望を抱き、それぞれの動物に性格を与え、絆を生み出す。
不条理で無情な自然界。そこから目を逸らした人々だからこそ、この助け合いコミュニティの形成に価値があると感じるのだろう。
自然や動物を描くと、その対照として人間らしい視点がよくわかる。そうして、同時に人間はもう自然に還ることはできないのだと。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
またまどろみの中で会いましょう。







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