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手放したくないもの

私の周りにはキラキラと希望や意志を持って、本質的に優しく、前向きに生きている人が多い。

しかし、そういう人は一方で、色々なものを引き受けたり、影響を受けやすく「何かやらなくちゃ」と不安や焦燥感を持って生きている人が多いようにも感じる。

そんな人たちは、どこか不安げで疲れていて、放つ言葉の奥に自信の無さや曇りがある。


きっと、自分の目的や大切なものが明確になっていなかったり、自分が何に向かって進んでいるのか、よくわからなくなってしまっているのだろう。

もちろん、そんなことは誰にだってあることだし、悩む時期というのは必要だ。それでも本人にとってはとても苦しいだろうし、早く抜け出したいと思う。早く答えを見つけたいと思う。


こういう時にまず「好きなものは?」「なりたいものは?」「大切なものは?」という考え方をすることが多い。

しかしこれは実際、現実的ではない。


なぜかというと、わからないからだ。

特に「なりたいもの」は、なってないから、わからない。

好きなものや大切なものは多すぎる。

これこそ言葉の呪縛というか、言葉で考えることの限界や非現実性を感じる。


ではどうすればいいか。

選択肢として「手放したくないもの」を考えてみるのはどうだろう。


一見「大切なもの」と似ているのだが、少し違う。

大切なもののほうがずっと範囲が広く、曖昧だ。


まず大切であるというのはどういうことなのか、それがとてもわかりにくい。

自分で評価しにくいんだ。

レベル感は様々あるが、家族や友達、趣味、仕事に休みなど、羅列してみると大切しているものは結構、多いのではないだろうか。


一方で「手放したくないもの」を考えるということは、かなり絞ることになる。

例えば人であれば手放すというのは距離感であったり、物事であればそれをやるかやらないかということであったりする。目で見てわかりやすい。


それに手放すという選択は今の視点に立っていて、今あるものの中から選ぶことになる。だから、捨てたくない/捨ててもいいを想像しやすい。


そうして、手放したくないものがなんとなく浮かんだら、自分がなぜそれを手放したくないのかを、考えてみる。

自分の成長になる、自分を安心させてくれるなど、さまざまな理由があるだろう。感情的な理由でも大丈夫。そうなると自分の根本の価値観もわかってくる。命以外はいらない、というスナフキンみたいな人もいるかもしれない。

なんにしろ、それがあなたにとって、本当に大切なことなのだ。


もちろんここで疑うことはしなくていい。それを否定する必要はなく、まず認めてみる。それがあなたらしさであり、そこに良し悪しはない。

むしろ、それがあなたにとっての良し悪しの基準になる。


そこまでわかれば、抱えすぎているものを整理してみる。

言い方を変えれば、手放したくないもの以外を捨ててみる。

優しい人ほど、影響を受けやすい人ほど、捨てることが苦手で「捨てない方が良さそう」という周りの感覚に流されて、いつの間にかすごい量の荷物を抱えてしまっている。けれど、そんなことはない。誰かの大切なものや世間のイメージによって、あなたは捨てられなかっただけで、あなたの基準ができれば、それは捨てていいものになる。


これは持ちすぎた荷物を減らす作業だ。

必要最小限の荷物で旅に出る。

という私はいつも大荷物なのだが。次は少し見直してみることにしよう。


今日も読んでくれてありがとう。

また、まどろみの中で会いましょう。









 
 
 

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