想像すること
- 政美 森田
- 7月17日
- 読了時間: 2分
人はほかの動物よりも「想像する」力が長けている。
それは習慣や反復の産物だけではない。
言葉という優れた道具を手にした私たちが得た、一つの武器だ。
しかし想像することは、人を豊かにも愚かにもする。
人はいつから、フィクションを書きはじめたのだろうか。
人はいつから、嘘をつくようになったのだろうか。
つまりはそういうことなのだ。
想像はいつでも、虚像。
それが現実にどれくらいにそっくりでも、どこまでも虚像でしかない。
そして言葉もまた、虚像である。
言葉を得たために、私たちは平気で嘘を描けるようになった。
私たちは言葉を使うたび、自分が何かを想像するたび、事実らしい嘘を吐き続けている。
「あの人はきっとこう思っているんだ」
「私はたぶん、嫌われている」
「どうせ、世界は自分ひとりじゃ変わらない」
そんな風にみえない他者や未来を想像するとき、人は最も愚かになる。
そこにはない物事に対して、傷つき、悲しみ、怒り、憎む。
真実よりも「自分がこう思った」「自分がこう考えた」事実を優先し、見えない敵を生み出す。
そうして現実でも本当に敵を作ってしまう。
しかし、想像は人を豊かにもしてきた。
星新一や、かつてのSF映画が描いた世界は、今わたしたちの目の前に現れてきている。
誰かが何気なくはじめた遊びは文化になり、はじめに誰かが思いつきで作った料理は、世界で多くの人の、幸せな力の源となった。
家族の未来を思い働く人と、その人を思って支える人。
その想像が愛情を育み、この世界に平和をもたらしている。
物語を読み、私たちが誰かの人生をなぞることは、一生かけても手に入れれなかったかもしれない、考え方を与えてくれた。
想像は、人の愚かさを生みもするが、
それ以上に、世界をつくってきた。
だから一生をかけて問い直すのだ。
私たちは、もっているこの想像力で、何を思うのか、何を成すのか。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
誰かを大切にできる想像ができたらいいですよね。
また、まどろみのなかで会いましょう。







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