孤独な世界
- 政美 森田
- 5月15日
- 読了時間: 3分
日に日に、多くの人の中にAIが導入されてきているのを感じる。
自分自身も仕事にも趣味にもAIを活用することが増えている。
しかし、そんな風に「コト」が満たされても、私たちは他者との身体的な繋がりがなければ、結局、満たされることはない。
便利なものが増えて、これまで「コト」を通して紡がれていた繋がりに、距離を置くようになった。他者を必要としないから、繋がる理由がなくなってしまった。そこに残ったのは「繋がりたい」という思いだけであり、ただ「コト」だけがどんどんと解決されていく世の中になってしまった。
それは「パン屋さんの匂いってなんか幸せだよね」みたいな意味もないことだったりする。けれど、そんなことが人間としての感情、情緒、心理的な部分を満たしていた。
かつては繋がりを切り離す方法がないからこそ、いろんなことが一気になされて、ごちゃごちゃとした中で私たちは暮らしていた。みんな一緒にいたし、生きていた。
思えば、私が生きた二十数年間の中でもたくさんのコミュニケーション手段も変化している。
幼い頃は携帯もなく、実際に会うか、手紙、交換ノートくらいしかその手段はなかった。
しかし、大人になるにつれ、メールやLINEを使い、SNSを使い、いろいろなコミュニケーション手段を駆使するようになった。全て便利に、円滑にするためだ。
そんな風にいろんな手段を用いて人と繋がり続けることで、夜の孤独な時間は減ったが、根本的な孤独感というのはどんどんと増す一方だった。
会わなくても、オンラインでどうにかなる。
SNSの世界では、自分が情報として必要とされる人間でいなければいけない。
私たちはそんなコミュニケーションのあり方を求めてきたのだろうか。
本当はあなたに、直接聞いてほしい話があった。
あなたに直接見てほしい写真があった。
私たちは仮想の世界に慣れすぎて、本当は誰かと一緒にいたかったことを忘れてしまった。
そして地上に降り立った、AI。
何に対しても正確に反応するその優秀な存在に、私たちは猛烈に依存する。
そうして、誰かを必要としなくなる。
誰かも私を必要としなくなる。
簡単な問いを立てて、それに答える。
そういうおままごとをしていたいと思う自分は幼いのだろうか。
「コト」を失った私たち。
誰かに聞くことが、どうしてこんなにもはばかられるのだろう。
誰かと繋がることがとても尊く、私を安心させてくれたのだと、その時にはじめて感じる。
もちろん便利は手放せない。
けれど、失ったものを取り戻さなければ、きっと幸せにはなれない。
今の世界は、そんな満たされたい人で溢れているんじゃなかろうか。
今日も来てくれてありがとう。
隣にいてほしい人を一人、思い浮かべてみてください。
そして気まぐれに「ご飯食べに行かない?」と伝えてみてはどうでしょう。
まどろみの中で、また会いましょう。







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