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変えられないもの、変えられるもの

この世界には、変えられないものと変えられるものがある。

それは、他人と自分。

他人は変えられない、しかし自分は変えられる。


「いや、でも、私はあの人のおかげで変われた」

「いや、あの人のせいで、私は変えられてしまったんだ」

というふうに考える人もいるだろう。


もちろん、人が人に与える影響は大きい。

近ければ近いほど、思いがあればあるほど。


けれど、「おかげで」「せいで」というのは、ただの“きっかけ”に過ぎない。

きっかけというのは、驚くほど間接的なものだ。

ほんの一押し。

ただの引き金でしかない。



変化を引き受けたのは誰か。選んだのは誰か。決めたのは誰か。

その銃を撃ったのは誰か。

その答えは、いつだって「自分」だ。


こう聞くと文章を書く人というのは、結構言葉に細かいなぁと思うかもしれない。

でもその細かさで気づかれることもある。

言葉には無意識がにじみ出る。細部に物事の本質が宿る。


「変えられた」と「変わった」では、主語が違う。

「された」と「した」では、責任の所在がまるで違う。


その違いを見逃さないようにしていると、やがて気づく。

他人は変えられない。

自分は他人のきっかけにしかなれない。

そして、自分にとっても、他人はただのきっかけでしかない。


そう考えると、誰かに期待するよりも、自分がどう動くか、どう変わるかを考える方がよほど現実的だと分かる。


もちろん分かっていても、それは簡単なことじゃない。

「自分が変わるしかない」と分かっていても、

人はつい、誰かに変わってほしいと願ってしまう。

誰かに変わらない自分を受け入れて欲しいと、相手のせいにしてしまう。


だからこれは、理屈では理解できても、感情ではなかなか納得できないものなのかもしれない。


でも、それでもやっぱり、最後にはそこに戻ってくる。

相手に期待するんじゃなく、自分が変わるしかない。


もし、今それが許されているのならば、いつか、それが当たり前に受け入れられる自分になるようにと願いながら、誰かにたくさん甘えて生きればいい。


今日も読んでいただき、ありがとうございます。

またまどろみの中で会いましょう。





 
 
 

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