変えられないもの、変えられるもの
- 政美 森田
- 7月1日
- 読了時間: 2分
この世界には、変えられないものと変えられるものがある。
それは、他人と自分。
他人は変えられない、しかし自分は変えられる。
「いや、でも、私はあの人のおかげで変われた」
「いや、あの人のせいで、私は変えられてしまったんだ」
というふうに考える人もいるだろう。
もちろん、人が人に与える影響は大きい。
近ければ近いほど、思いがあればあるほど。
けれど、「おかげで」「せいで」というのは、ただの“きっかけ”に過ぎない。
きっかけというのは、驚くほど間接的なものだ。
ほんの一押し。
ただの引き金でしかない。
変化を引き受けたのは誰か。選んだのは誰か。決めたのは誰か。
その銃を撃ったのは誰か。
その答えは、いつだって「自分」だ。
こう聞くと文章を書く人というのは、結構言葉に細かいなぁと思うかもしれない。
でもその細かさで気づかれることもある。
言葉には無意識がにじみ出る。細部に物事の本質が宿る。
「変えられた」と「変わった」では、主語が違う。
「された」と「した」では、責任の所在がまるで違う。
その違いを見逃さないようにしていると、やがて気づく。
他人は変えられない。
自分は他人のきっかけにしかなれない。
そして、自分にとっても、他人はただのきっかけでしかない。
そう考えると、誰かに期待するよりも、自分がどう動くか、どう変わるかを考える方がよほど現実的だと分かる。
もちろん分かっていても、それは簡単なことじゃない。
「自分が変わるしかない」と分かっていても、
人はつい、誰かに変わってほしいと願ってしまう。
誰かに変わらない自分を受け入れて欲しいと、相手のせいにしてしまう。
だからこれは、理屈では理解できても、感情ではなかなか納得できないものなのかもしれない。
でも、それでもやっぱり、最後にはそこに戻ってくる。
相手に期待するんじゃなく、自分が変わるしかない。
もし、今それが許されているのならば、いつか、それが当たり前に受け入れられる自分になるようにと願いながら、誰かにたくさん甘えて生きればいい。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
またまどろみの中で会いましょう。







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