今日という日に
- 政美 森田
- 8月15日
- 読了時間: 1分
少し前にお墓に行ったんだけれど、改めてこの下に私と血の繋がった人が何十人と眠っているのだと考えると、信じられないというか、どこか現実味がしなかった。
けれどそれはすべて本当で、人は生きているときにはこんなにも大きくいきいきとしているのに、亡くなってしまえばほんとうに小さく、どこにもないみたいだ。
きっと100年後には、私だってどこかのお墓に眠っているだろうし、私の大切な人だってもういない。そんな世の中を今は信じたくないけれど、それは必ず、絶対に来る。
人は強いけれど、弱い。簡単に死なないけれど、簡単に死んでしまう。
毎日人は亡くなって、生まれて。そういうのを何千年何万年と繰り返してきた。
その中でわたしたちが幸せに、永く生きる方法をみんな考えてきて、今、その最先端にいる。
生きているとこういう大きな流れや、自分が生きているということを、つい忘れてしまう。それだけ平和なのだ。
食べること、眠ること、遊ぶこと、笑うこと。
働くこと、疲れること、悩むこと、泣くこと。
嫌だなと思う人も、満員電車も、失恋も、喧嘩も。
全て生きていることだったりするんだ。
今日という日に。
今日も読んでいただきありがとうございます。
また、まどろみの中で会いましょう。







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