与えること、受けとること
- 政美 森田
- 6月11日
- 読了時間: 2分
私の家族は昔から「与えること」が好きだ。
基本的には世話焼きで、よく近所の人ととれた野菜を交換しあったり、祖父なんかは競馬やパチンコで勝った日には、町内会や近所の施設に寄付をしていた。
だから私もそんな家族を見て、誰かに何かをあげることが自然なことのように感じ、ことあるごとにお土産を買いすぎてしまう。
一方で、与えられるのが得意な人もいる。
素直に感謝できたり、嫌味なくさらっとそれを受けとることのできる人がいる。
そういう人は無意識で与える側であることが多い。
しかし、世の中は得意な人だけではない。
与えることや受けとることがが苦手な人もいる。
そして、得意な人より苦手な人のほうが、ずっと苦しむことになる。
とくに受けとることが苦手な人は、自分の意思に関係なく与えられてしまうから、ときにそれをうまく受け止められず、自身も困ってしまうし、その反応で、相手も困らせてしまう。
与える人は基本的に良かれと思ってやっている。だからこそ悪意がなく、その期待に応えられないことに申し訳ない気持ちになる。
「人がされて嫌なことはするな」とは言っても「自分がされて嬉しいことを人にしよう」というのはあまり言わないのは、そういうこともあるのだろう。
受けとる側は抗えない。だから、与える側はなんでも与えて押し付けてはいけない。自分が嬉しいことだったとしても、だ。
けれど、相手が求めてないなら、何もしないほうがいいのだろうか。
それを考えると、それが少しさみしい気持ちになる。
互いに楽な関係ではあるのかもしれない。
けれど、それだけだ。
それを超えた先に、人と共に生きることの喜びがあるのではないだろうか。
もちろん押し付けは良くない。だから相手を知り、自分と相手との空気を感じる。そういう営みのなかで、相手を思う気持ちが自然と生まれる。
そんな風に相手に寄り添えるように、与えることができるのではないだろうか。
与えることの多い自分だからこそ、そんな気持ちを大切にしていきたい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
またまどろみの中で会いましょう。







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