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与えること、受けとること

私の家族は昔から「与えること」が好きだ。

基本的には世話焼きで、よく近所の人ととれた野菜を交換しあったり、祖父なんかは競馬やパチンコで勝った日には、町内会や近所の施設に寄付をしていた。

だから私もそんな家族を見て、誰かに何かをあげることが自然なことのように感じ、ことあるごとにお土産を買いすぎてしまう。


一方で、与えられるのが得意な人もいる。

素直に感謝できたり、嫌味なくさらっとそれを受けとることのできる人がいる。

そういう人は無意識で与える側であることが多い。


しかし、世の中は得意な人だけではない。

与えることや受けとることがが苦手な人もいる。

そして、得意な人より苦手な人のほうが、ずっと苦しむことになる。


とくに受けとることが苦手な人は、自分の意思に関係なく与えられてしまうから、ときにそれをうまく受け止められず、自身も困ってしまうし、その反応で、相手も困らせてしまう。

与える人は基本的に良かれと思ってやっている。だからこそ悪意がなく、その期待に応えられないことに申し訳ない気持ちになる。


「人がされて嫌なことはするな」とは言っても「自分がされて嬉しいことを人にしよう」というのはあまり言わないのは、そういうこともあるのだろう。

受けとる側は抗えない。だから、与える側はなんでも与えて押し付けてはいけない。自分が嬉しいことだったとしても、だ。


けれど、相手が求めてないなら、何もしないほうがいいのだろうか。


それを考えると、それが少しさみしい気持ちになる。

互いに楽な関係ではあるのかもしれない。

けれど、それだけだ。


それを超えた先に、人と共に生きることの喜びがあるのではないだろうか。

もちろん押し付けは良くない。だから相手を知り、自分と相手との空気を感じる。そういう営みのなかで、相手を思う気持ちが自然と生まれる。

そんな風に相手に寄り添えるように、与えることができるのではないだろうか。

与えることの多い自分だからこそ、そんな気持ちを大切にしていきたい。


今日も読んでくれてありがとうございます。

またまどろみの中で会いましょう。


 
 
 

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