ヒトハルシネーション
- 政美 森田
- 9月9日
- 読了時間: 2分
AIを使っていると、たまに事実とは異なるものを、最もらしく出力することがある。
これをハルシネーションという。日本語で訳すと「幻覚」だ。
似たようなことが機械やロボットで起きるとき、「エラー」や「バグ」と呼ぶが、AIでは「幻覚」という。
これはAIにおける「知る」ことの定義を考える上で重要なポイントになる。
つまり、AIは本当に「知って」いるのかということだ。
そして同時に、人における「知る」とはなにかという問いが生まれる。
それについてとても興味深い記事があり、ここでは哲学の認識論という分野から、AIの知識のあり方を説明していて、「真実」「信念」「正当化」という三要素を基準としたJTB理論に照らして考えている。(参考:「哲学」から見るAIのハルシネーション)
この頃、人の知識のあり方がAIのように感じる。
つまり認識ではなく、情報として持つ知識のあり方だ。
わたしはそれをヒトハルシネーションと呼ぶことにする。
経験や体験とも紐づかず、信念を失い、ただ出てきたそれらしいものを真と受け取る。
こうなると、「知っているフリ」をした人々がだんだんと増えていく。
本人は気づいていないのだけれど、それに誰も気が付かない。疑わない。全ての人が裸の王様状態。
そういう人たちによって、コミュニケーションとはいえない情報の流し合いが生まれ「それらしいけど、真を求めない」世の中。
そういう日が来るのも、そう遠くはないのだろうと考える。
ヒトハルシネーションはきっともう、そこにある。
今日も読んでいただきありがとうございます。
そんなSF小説が書けそうな予感。
また、まどろみのなかで会いましょう。







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