わかりあえないことから
- 政美 森田
- 5月30日
- 読了時間: 2分
どうしてもわかり合えない人がいる。
それが互いにとっていい影響を与えることもあれば、ときとして敵のように思えてしまうこともある。
けれど自分の過去を振り返ってみて、そもそも本当にわかり合えるような人と出会ったことがあっただろうか。
こんなに多様な社会、多様な環境がある中で、自分のことを、そして相手のことを本当に理解して関係を紡いできたことがあっただろうか。
きっと、どこかで自分の気持ちを隠し、本当はわからないのに、ときとしてわかるふりをしながら「一緒にいたい」という気持ちや期待から、必死に歩み寄ろうとしていただけなのではないだろうか。
だからこの世界の誰しもが、わかり合えない人だらけなのではないだろうか。
それでもわかり合えないことに対して、どう向き合っていくか。
どう相手を見つめていくか。見つめていけないのか。
一緒に生きていくのか。離れるのか。
小さな違いが少しずつ歪みになったり、でもほかの部分ではパズルのピースのようにぴったりとはまったり。相手の全てをわかることはできないかもしれないけれど、そんな複雑な関係の中から、少しずつ互いの距離感や、正解らしいものを見つけていく。
人はそれぞれ違う。けれど人は考えることができる。
考えて、自分だけじゃなく、相手を自分なりに思うことができるようになる。
その結果が、あなたとその人の関係や距離なんじゃないだろうか。
わかりあえなくても、見つめ合うことはできる。一緒にいることもできる。
それが相手を受け入れるという姿勢だ。
だから、誰かをわかる必要はない。
あなたはあなたのままでいい。あなたはあなたがわかっている。
だから、あなたも同時に、誰かにわかられる必要なんでないのだ。
完璧にわかる人など、自分以外、誰一人として存在しない。
相手のことはわからなくても、その違いをわかり、受け入れる。
わからなくても一緒にいる、相手を見つめる。相手も私を見つめる。
そういう関係を作っていけるような人を大切にしていくことが、きっと人間関係での重要な部分なのだろう。
ちなみに今回のタイトルは『わかりあえないことから』という平田オリザさん本のタイトルからコピーした。友人から紹介されて読んだのだが、そちらもぜひおすすめして、今回は終わりにする。
今日も読んでくれてありがとうございます。
また、まどろみで会いましょう。







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