できないことの前に
- 政美 森田
- 7月10日
- 読了時間: 3分
今までいろんなことをやっていて思うのが、
会社みたいに決まったマニュアルがなくて、自由度があるようなときには、物事の本筋を見失いやすい。
何かをやるにしても、やろうと考えていたことが「できない」場面に立ちはだかる。
そういうとき、できないことをたくさん努力してできるようにする、という風にしていく。
時間があるときはぜひそうしてもらうのが良いが、たいていはそんな時間なんてのはない。
自分が生きていくために、何ができるか。
一日一日、一時間、一分、一秒が惜しいときがほとんどだ。
そんな状況で目の前の「できない」をこなすには、かなり労力がいるし、プレッシャーがかかる。
だから、「できないこと」を見つめるんじゃなくて、本来は、その結果「何を達成したいか」というゴールを見つめるようにしなきゃいけない。
そう考えると、目の前にできないことを達成しなくても、意外にもゴールは達成できるとわかる。自分ができないことを代わりにやってくれる存在がいたり、そもそも別のアプローチがあったりする。
そして「できないこと」をやろうとしたとき、自分は自分を知らないのだなと知る。
「できないこと」というのはたいてい、一般に追いつこうという精神から生まれる。
自分を見つめられていないから、そこに追いつこうと思って、できずに、挫折する。
そうではなく、一旦、自分を見つめて、自分は何ならできるか考える。そして、できることとゴールを照らし合わせて、アプローチを見つければいい。
書いてみると結構簡単に思えるが、「自分を見つめる」という手順を省いてしまい、一般化してしまうことが多い。
きっと情報をあまりにも多いせいで、つい自分の情報を忘れがちなのだ。
実際この「今日のまどろみ」も最初は毎日更新を考えていたし、もっとたくさんの機能を付随したり、全てを自分でこなしたかった。それは、「毎日更新」という響きも良かったし、勉強すれば写真もWebサイトも自分でなんでもできると思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば、毎日決まった生活をしていない自分にはそれができないし、いつも書きたいことがあるわけじゃない。あの文章も書いて、この文章も書いて、言語化に追われる毎日の中で、私がこの場所を「まどろみ」のような時間として、捉えられなくなってきてしまうことを感じた。
だから「自分ができる範囲で、続けられる範囲で、自分の言葉を届ける場所をつくること」
そんな自分で達成できるゴールを見据えて、このサイトも今続けられている。
今日も読んでいただきありがとうございます。
なんにしても自分を知ることって大事ですよね。
またまどろみのなかで会いましょう。







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