すべてがわたしを知ることへ
- 政美 森田
- 10月17日
- 読了時間: 3分
それぞれ得意なことがあって、それぞれ苦手なことがある。
あなたの悩みはもしかしたら、苦手なものに立ち向かおうとしているからかもしれない。
身につけなきゃいけないことを、うまくやれない自分に腹が立ったり、ショックを受けているのかもしれない。
そういうとき、まっさきに自分を責めちゃいけない。
それは、自分を一つ理解した、ということにすぎない。
あなたにはそれがほんとうに必要だろうか。
ほかの選択肢はないのか。
たとえば、誰かは数字が得意で、誰かは人の気持ちを察するのが得意で、誰かは空気を和ませるのが得意。
そんな風に人は優れているし、違いがある。
苦手を克服することは立派だけれど、それが“あなたらしさ”をすり減らしてまでやることなのかは、一度立ち止まって考えてみてもいい。
苦手なことを避ける?ちょっと考えが甘いんじゃないか。
そう思う人もいるだろう。
けれど判断するのは、いつだって自分だ。
「向き合うべき壁」と「無理に越えなくてもいい壁」は、見た目がよく似ている。
しかし、それは他の人にはわからない。
なぜなら他の人から見えているのは、その人の壁だからだ。わたしじゃない。
そして、その壁の違いは、きっと乗り越えた先にしかわからない。
どんなに目的を持っていても、その目的がそもそも、自らが望んだものではなかったかもしれない。
だから人は、いろんなことをやってみるし、いろんなことに頑張って生きている。
別の形でも叶えられることなら、無理に正面突破をしなくてもいい。
回り道は、逃げじゃない。自分を守りながら進むための戦略だ。
むしろ、守らずに攻撃を受け続けるような人は、無防備だ。
人として受け継がれてきた、個性と社会性。
あなたが苦手なことは、もしかしたら誰かの得意なことかもしれない。
だったら助けを借りたり、役割を分け合ったりすればいい。
「できない=価値がない」じゃない。
「できないを知っている=自分に合う生き方を選べる」だ。
あなたは、すでに一つ“自分を知る”という大事な一歩を踏みだしつつある。
だから、もう少し自分に優しくしていい。
苦手を抱えたままでも、ちゃんと幸せになれるやり方はある。
そして何より、あなたの生きる形は、あなたにしかつくれない。
どんなに誰かの生き方を真似しても、その人は責任を負ってくれない。
だからこそ、問うべきだ。
「私は本当は、どう生きたい?」と。
その答えを探す過程こそが、あなたを強く、しなやかにしていくのだから。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
また、まどろみの中で会いましょう。







コメント