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すべてがわたしを知ることへ

それぞれ得意なことがあって、それぞれ苦手なことがある。

あなたの悩みはもしかしたら、苦手なものに立ち向かおうとしているからかもしれない。

身につけなきゃいけないことを、うまくやれない自分に腹が立ったり、ショックを受けているのかもしれない。


そういうとき、まっさきに自分を責めちゃいけない。

それは、自分を一つ理解した、ということにすぎない。


あなたにはそれがほんとうに必要だろうか。

ほかの選択肢はないのか。


たとえば、誰かは数字が得意で、誰かは人の気持ちを察するのが得意で、誰かは空気を和ませるのが得意。

そんな風に人は優れているし、違いがある。


苦手を克服することは立派だけれど、それが“あなたらしさ”をすり減らしてまでやることなのかは、一度立ち止まって考えてみてもいい。


苦手なことを避ける?ちょっと考えが甘いんじゃないか。

そう思う人もいるだろう。

けれど判断するのは、いつだって自分だ。


「向き合うべき壁」と「無理に越えなくてもいい壁」は、見た目がよく似ている。

しかし、それは他の人にはわからない。

なぜなら他の人から見えているのは、その人の壁だからだ。わたしじゃない。

そして、その壁の違いは、きっと乗り越えた先にしかわからない。

どんなに目的を持っていても、その目的がそもそも、自らが望んだものではなかったかもしれない。

だから人は、いろんなことをやってみるし、いろんなことに頑張って生きている。


別の形でも叶えられることなら、無理に正面突破をしなくてもいい。

回り道は、逃げじゃない。自分を守りながら進むための戦略だ。

むしろ、守らずに攻撃を受け続けるような人は、無防備だ。


人として受け継がれてきた、個性と社会性。

あなたが苦手なことは、もしかしたら誰かの得意なことかもしれない。

だったら助けを借りたり、役割を分け合ったりすればいい。


「できない=価値がない」じゃない。

「できないを知っている=自分に合う生き方を選べる」だ。


あなたは、すでに一つ“自分を知る”という大事な一歩を踏みだしつつある。

だから、もう少し自分に優しくしていい。

苦手を抱えたままでも、ちゃんと幸せになれるやり方はある。


そして何より、あなたの生きる形は、あなたにしかつくれない。

どんなに誰かの生き方を真似しても、その人は責任を負ってくれない。


だからこそ、問うべきだ。

「私は本当は、どう生きたい?」と。

その答えを探す過程こそが、あなたを強く、しなやかにしていくのだから。


今日も読んでいただき、ありがとうございます。

また、まどろみの中で会いましょう。

 
 
 

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