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してあげない

「してあげない」という、おもいやりについて。


誰かをおもうとき、なにかをしてあげたくなる。

道で困っている人がいれば助けたくなるし、友達や家族に「それ取って」と言われたら、何のにごりもなく取りに行く。


それが幼い頃から学んできたことだった。

人助けをしなさい、人に優しくしなさい、と。


ただ大人になると「優しく」とはなんだろうと、いろんな場面で感じる。

優しさでしていることが、ときとして、相手にとって迷惑になったりもする。


例えば、よくあるのが「これあげる」。

私は相当のあげたがりで、親しい人に食べ物や飲み物をあげたりする。

そして一度「ありがとう」と受け取ってくれたから、次もその次もあげようとする。


でも、もしかしたら相手は困っているかもしれない。

私はあげることで、いつのまにか自分を満たしたかったのかもしれない。

形は同じでも、気持ちが変化しているかもしれない。

人は絶えず、変わる。環境によって、状況によって。


だから優しさも変わる。一律なものではいられない。

都度、その人と向き合ってこそ、優しさだ。


向き合うことは、理解することであり、ときとして「君は間違っている」と告げることでもある。

味方とも違う。敵にもならない。

ただ相手の気持ちを計ったときに______それが苦しい選択だとしても、自らすすんでその道を歩むことだ。


そして、きっとその優しさは一番に、他の誰かではなく、誰でもない、自分に向けなきゃならない。

あなたは、あなただけは自分を苦しめちゃいけない。


ちょっと矛盾しているようだけれど、何も矛盾はしない。

今はちょっと苦しいかもしれない。

その苦しさがいつか癒えるような優しさを、自分に向けてあげればいい。

その場しのぎの痛み止めじゃなくて、ガンのもとを見つけること。


そういう風にして、私たちは自分に優しく、誰かに優しい人になれるんだろう。

寒さが増し、より一層、優しくありたいと思う秋ですね。



今日も読んでいただき、ありがとうございます。

また、まどろみの中で会いましょう。




 
 
 

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