してあげない
- 政美 森田
- 10月1日
- 読了時間: 2分
「してあげない」という、おもいやりについて。
誰かをおもうとき、なにかをしてあげたくなる。
道で困っている人がいれば助けたくなるし、友達や家族に「それ取って」と言われたら、何のにごりもなく取りに行く。
それが幼い頃から学んできたことだった。
人助けをしなさい、人に優しくしなさい、と。
ただ大人になると「優しく」とはなんだろうと、いろんな場面で感じる。
優しさでしていることが、ときとして、相手にとって迷惑になったりもする。
例えば、よくあるのが「これあげる」。
私は相当のあげたがりで、親しい人に食べ物や飲み物をあげたりする。
そして一度「ありがとう」と受け取ってくれたから、次もその次もあげようとする。
でも、もしかしたら相手は困っているかもしれない。
私はあげることで、いつのまにか自分を満たしたかったのかもしれない。
形は同じでも、気持ちが変化しているかもしれない。
人は絶えず、変わる。環境によって、状況によって。
だから優しさも変わる。一律なものではいられない。
都度、その人と向き合ってこそ、優しさだ。
向き合うことは、理解することであり、ときとして「君は間違っている」と告げることでもある。
味方とも違う。敵にもならない。
ただ相手の気持ちを計ったときに______それが苦しい選択だとしても、自らすすんでその道を歩むことだ。
そして、きっとその優しさは一番に、他の誰かではなく、誰でもない、自分に向けなきゃならない。
あなたは、あなただけは自分を苦しめちゃいけない。
ちょっと矛盾しているようだけれど、何も矛盾はしない。
今はちょっと苦しいかもしれない。
その苦しさがいつか癒えるような優しさを、自分に向けてあげればいい。
その場しのぎの痛み止めじゃなくて、ガンのもとを見つけること。
そういう風にして、私たちは自分に優しく、誰かに優しい人になれるんだろう。
寒さが増し、より一層、優しくありたいと思う秋ですね。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
また、まどろみの中で会いましょう。







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