レプリカ
- 政美 森田
- 10月14日
- 読了時間: 2分
わたしは最近、自分の中にある衝動的な何かの正体をずっと考えている。
自分の中には「言葉にしちゃいけない領域」がある。「言葉にできない」と言った方がふさわしいだろうか。
きっと、この世界の何割の人かは、その感覚をなんとなく共有できていると思う。
結局、言葉は無限なようで有限。だから、どんなにこだわったとしても表現が限られてしまう。
そしてそもそも、それらは「言葉」として出力すると、破綻してしまう性質のもので、もっとふわふわとしていたり、尖ったものだったりする。だからと言って形になるわけでもないし、それはそれでしかない。それ以外ということはない。そんなものを言葉にしたとき、途端に偽物になってしまう。それはそうではないんだと。
だから「言葉にできない」と同時に「言葉にしちゃいけない」。
言い換えるなら自分という存在を、また別のもので象られたような感じだろう。象られたものは、「象られたもの」であるだけで、本質的には全く違う。
本物とレプリカや贋作のようなイメージが近いのだろうか。
本物は本物にこそ意味があり、そこで使われた言葉は本当ではない。
わたしは、興奮のたび、しばしば、それらを人に伝えたいと思うときがある。
一応伝えてみるが、とても安直で、自分の中でハマらなさを感じる。何か比喩を使おうとすると「意味がわからない」と一蹴される。
だから、超能力のようなコミュニケーション手段で「伝われ!」と思ったり、けっこう本気で悩んできた。
うまく伝わらないと、そのもどかしさや、自己解釈ができていない自分にショックを受ける。
でもこればかりは自分が悪いわけではなくて、そもそも、そういうものなのだ。
だから伝えるのが不可能なものを伝えて、相手を混乱させてしまっている、かなり迷惑な人間でもある。
そういうわけで、それらとの区別をつけて、その辺に関しては口数少なく生きていきたいと思いました。
という、今の文章も、果たして伝わっているんでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また、まどろみの中で会いましょう。







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