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『国宝』のほうこく

先日、映画『国宝』を観た。

まだ観ていない人もいるかと思うので、できるだけネタバレやストーリー部分は避けて話そうと思いますが、完全NGの人はここでUターンしてください。

ちなみに、私は原作を読んでいません。なので、今回の映画においての話になります。


原作は吉田修一さん。

私は読んだことがないのですが、本棚には『東京湾景』『悪人』あたりがあったような気がします。近々読んでみようと思います。

吉田さんはいわゆる芥川賞作家ですが、エンターテイメント小説も描く器用なタイプの作家さんです。


きっとこのくらいでネタバレ防止対策にはなるでしょう。

では、いよいよ考察のような感想のようなものを少しだけ書いて行きたいと思います。


まず、第一印象。

長いっ!長すぎる!

もちろん面白いんですが、ラストのほう、ここで終わるかな?という、ラストシーンもどきのようなシーンがいくつかあり、もちろん結果的には面白かったし、必要なシーンだということがわかるのですが、日頃短い映画に慣れている身としては、三時間は長かったですね。でも、それはそれとして、必要な三時間であることもわかりました。


おそらくその一番の部分は、歌舞伎の世界のあり方を表現したのだと思います。

それは二つの意味であり、一つ目は、本作は歌舞伎という舞台設定上、重要シーンに歌舞伎のシーンが多く盛り込まれています。こうした日本芸術の余白の美を表現する、特に歌舞伎のような時間芸術においては、その時の流れ方がとても重要になってきます。だから、そこを省略せずきちんと取り扱ったことによる長さなのだと思います。歌舞伎の内容をしっかり取り扱いながら物語のシーンを構成するというのが実は難しく、作家が表面的に歌舞伎を知るのではなく、かなり内側に入って勉強してきたことがうかがえますよね。


二つ目の要因としては、これは結果的にそうなったのかもしれませんが、この映画鑑賞自体を歌舞伎的に受け取らせること。

歌舞伎の公演というのは映画よりもずっと長く、3,4時間ほどになるようです。もちろん実際の歌舞伎では一つひとつの演目は短いものが多く、休憩もあるのですが、その長い時間同じ場所で鑑賞するという体験はとても歌舞伎的。だから、本作を観た時に、映画を観たのだけれど、歌舞伎を観たというような感覚になる。それはストーリー的なエンタメではなく、動く芸術を鑑賞するという感覚に近い。そういう体験へのきっかけとしてこの時間が設定されたのではないでしょうか。


また次に感じたものは、ハードボイルドさ。もちろんこれはただのハードボイルドではなくて、ハードボイルドであるからこそ、より強く感情が浮かび上がるという性質のもの。そしてそれは演技ではなく、鑑賞者側の感情です。映画で語られていないことが、私の、観た人の口から語られる。映画が語るのではなく、鑑賞者に語らせる映画なのだと思いました。


実は、映画を観る前、いろんな人からいろんな評判を聞いたんですよね。まあ、それぞれ視点が違うし、どんな映画なのだろうと不思議に思っていました。その理由は、映画がいい意味でフラットでハードボイルドな描き方・演技をしてるからなのだと思いました。


少し内容部分に触れると、総じてこれが「国宝」であるのだと突きつけるような内容でしたね。だれがどうで、どうとかまあ色々あるのですが、全て人間国宝になるまでの経過で、結果的に喜久雄は人間国宝になった。思えば、この作品で出てきた国宝は2人。万菊と喜久雄のみ。喜久雄は舞台上の万菊観た瞬間から、人間国宝になれる道すじを完全に受け継ぎました。

自分より技が上だった旦那も、国宝にはなれないどころが「白虎」を自ら名乗る直前に命が絶えてしまった。俊介も歌舞伎役者として命ともいえる足を無くし、最後には亡くなり、国宝として認められる時間すら与えられなかった。


けれど、それらは喜久雄がどうしたからといって、変わりません。

二人が国宝になる道はなく、しかし、逆に言えば、二人がいたから、喜久雄は国宝になった。これは完全にそうです。

旦那が最初に見つけてくれなければ、喜久雄がこの舞台に入ることはなかった。むしろ外道な道で復讐に燃えていたでしょう。また、俊介は喜久雄の中で良き友人であり、ライバルだった。鏡のような、いつも自分を見つめられる存在だった。歌舞伎一家の血を持つ俊介が隣にいたからこそ、喜久雄はそれを持たない自分が、芸でしか勝負できないのだという覚悟を持った。そして、最後には俊介の思いも、きっとあの足を握ったとき、自分が背負った。

そんな歌舞伎の血を継ぐ二人の存在が、何の脈もない彼を人間国宝にした。それがこの映画です。


これはある意味で芸術界への問いかけでもありますね。私は美術の世界を垣間見たことがあるのですが、やっぱり脈というのは今でも強い。

芸術を、美を人間が扱うと、そこに必ず権力が見え隠れする。賞を獲る人や評価されている人の背景を知ると「なるほど」と思う。

でも、芸術は人間にしか扱えない。純粋な芸術はどこにあるのだろうか。そんなことも考えてしまいます。


もう少し登場人物について語りたいところですが、原作を読んでみてから、色々と考えたいなと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございます。

またまどろみのなかで会いましょう。







 
 
 

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