自分史
- 政美 森田
- 8月19日
- 読了時間: 2分
少し前から「自分史」というのを書いている。
自己分析シートのような感じで、相談したときに、知り合いからもらったシートを参考にして書いている。
シートの幼少期の欄を眺めて、瞬間に思い出されるのは、叔母と一緒にいた記憶だった。
私は複雑な家庭環境というか、昔は祖母と曽祖母、結婚前の叔母が1階で暮らし、2階に両親と姉と私が暮らしているという少し変わった暮らしをしていた。
ただ、そのとき私はすでに、両親よりも祖母と叔母にかなり懐いていて、基本的に一緒に眠るのも、ご飯を食べるのも1階だった。
しかし、自分の子どもが叔母に懐いているという状況を母が不安に思わないように、幼心ながら、2階でも食事をとったり(つまり夜ご飯は基本的に2食になった)、たまに2階で眠ったりもしていた。
叔母は結果的に子どもこそ作らなかったが、子どもの扱いがとても上手だった。お世話することが何よりも好きなのだ。それは今でも変わらず、従姉妹や近所の子どもは叔母によく懐いている。
私が幼い頃、一番思い出すのは、そんな叔母とリビングで眠った日常だった。
2人ともテレビの方を向きながら、叔母は私を抱きしめてくれるように、腕枕をして、一緒に眠った。リビングの大きな窓から入り込む日差しのまぶしさとあたたかさ。
そのとき、人のぬくもりや、抱きしめられながら眠ることの安心感を覚えたような気がする。
そしてこの時の記憶が、私の好きな「まどろみ」という言葉の原体験だったりする。
だからたまに、そういうのが無性に恋しくなる。
さすがにもう26歳にもなって、叔母さんとリビングで一緒に寝るなどはできない。
けれど、私はたまにリビングで眠ってしまう時、叔母さんは私にふとんをそっとかけてくれる。
私がこの人生で愛し続けるべき人は、きっとこの人なのだろう。
そういうことに気がつけたりする。
さてと、懐かしむ時間はこれくらいに「自分史」を書かなければ。
今日も読んでいただきありがとうございます。
またまどろみの中で会いましょう。







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