居場所
- 政美 森田
- 6月2日
- 読了時間: 3分
それは「居場所がある」ということ。
帰ってもいい場所があるということ。
私たちは生まれたときから家族という場所を与えられ、そこで育っていく。
けれど、自分が成長したり時間を経ていろんなものが変化する中で、家族が自分から離れてしまうこともある。あるいは、家族は私の居場所ではなかったということに、気がついてしまう。
そうして自分が一人ぼっちだということに気がつき、私はどこに帰れば良いのかわからず、放浪する。
実は私にもそんな時期があり、何度も家出を繰り返しては家族を困らせていた。父は私を怒鳴り、母は涙を流していた。私は父に勘当され、新しい場所でも、やっぱりどこか私は腫れ物扱いをされた。そのときは自分の殻に閉じこもることしかできなかった。
そうして放浪した結果、私は何度か自分の居場所を見つけた。
そこは無条件に自分をいさせてくれる場所ではなく、自分のしたいと思うことを必要として、認めてくれる場所だった。その中で私はますますやりたいことを見つけ、自分が成長していくほどに、その場所も豊かになっていく。もしくは自分によって、いい状態が維持されている。居場所というのは、そういう好循環な関係なのだと思う。
そして人は本来的に、そういう場所が必要なのだ。
無条件に何かを受け取ることなんかできなくて、受けたら返す、あげたら受け取る。
そういうのが感覚的に合う人が、自然と居場所になる。
しかし、そう思い合える人や場所は、そう多くない。
多くの場合、深くなるほどに、このバランスが崩れて終わってしまう。もしくは環境が変化していくことに、どちらかがついていけなくなってしまい、別々の道で生きていくことになる。
こういう場所に出会えずに一生を終える人もいるだろうし、そういうのに恵まれて生きる人もいる。
私はできるなら、多くの人がそういう自分の居場所を持って生きてほしいと思う。
自分が文章を書くのも、自己満足でもあると同時に、読んでくれている人の居場所になっていたらいいなという気持ちがある。
居場所がないと感じるなら、ここに帰ってきてほしい。
私は読んでいるあなたを、直接抱きしめることも、頭を撫でて褒めたりすることもできない。だからこそ、私が今まで救われたり、成長できた考え方を言葉にすることで、強くあなたを抱擁したいと思うし、あなたと一緒に成長していきたいと思っている。
私は一人しかいないけれど、私の言葉は多くの人に届けることができる。だから居場所がないと感じている人がここに帰って来れるように、そして自分の居場所を見つけられるように、これからも書き続けることでこの場所を守り、いつでもあなたを待っている。
今日も読んでくれてありがとうございます。
また、まどろみで会いましょう。







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